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林原 (企業) : ウィキペディア日本語版
林原 (企業)[はやしばら]

株式会社林原(はやしばら、)は、岡山県岡山市に本社を置く食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売するバイオメーカーである。メセナ事業として美術館や博物館などを運営する。
2011年会社更生法を申請し、化学専門商社長瀬産業の完全子会社になる。2012年3月26日に会社更生計画は終結〔している。
== 概要 ==
1883年、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に麦芽水飴製造業を営む林原商店として創業する。1932年株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任して研究開発や経営多角化を推進する。水飴製造は酸糖化法を導入し「太陽印水飴」として日本本土や大陸方面へ販路を拡大する。1943年林原株式会社へ社名変更する。1945年岡山空襲で工場を焼失するも終戦直後に復興して水飴生産量が日本一になり、不動産事業ではJR岡山駅南に約2万坪の土地を購入し、1948年、同所へ本社を移転する。以後デンプンから各種糖質開発を事業として特許を多数取得し、莫大な収益でさらに新規研究を行う研究開発型企業へ成長する。
1961年、林原健の社長就任以降、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトースプルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立する。美術館開館、備中漆復興事業、古生物学(恐竜発掘)調査、類人猿研究などメセナ事業も積極展開を始める。1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し世界市場で販売する。ただし林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖によると、林原インターフェロン製造のために建設された吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回ったことがなく、後の経営破綻の最大の原因の一つとあげている〔2013年 pp66-69 〕。これは林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンの競合に効率で劣っていたことと、販売協力関係にあった大塚製薬の社長が新薬開発をめぐる汚職事件に関わり、製薬会社の社長を退任せざるを得なかったことによるという〔2013年 pp66-69 〕。
2011年2月2日、林原、林原生物化学研究所、林原商事、のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請、3月7日に更生手続開始が決定する。
2012年2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、2月3日に合併後の株式会社林原が100%減資して長瀬産業(大阪市)の完全子会社〔東京地裁が林原の更生計画案認可 再建本格化へ:2011/12/31 16:38 【共同通信】 〕になる。長瀬産業からの出融資やJR岡山駅南土地の売却などにより、負債総額約1400億円に対し弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準で、更生法適用から約1年2ヶ月後の3月26日、会社更生計画は終結〔する。中核事業は株式会社林原が継続し、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産が引き継いでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「林原 (企業)」の詳細全文を読む



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